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投稿日: toyozo
2006/10/24 12:03 

1993~94年シーズン。

初めてアルペンを履いた。ここから私のALPAIN LIFEが始まる。

フーガーブーガーのボードとライケルのブーツ。

この頃のライケルにはサーモインナーなんてものはなく、

足の甲が痛くって痛くって紫色に腫れていたことを覚えている。

なぜアルペンに変えたのか? 

それは昨シーズンの終わりごろのことだった。

 

その頃の私は、まだスノーボードをサーフィンの延長としか考えていなかった頃で、

内倒ターンで鼻の穴をプクプクにし、自分で “ うまい!”ってナルっていたのだ。

(どうやら15年前からNALUの種は芽を吹き始めていたようだ。)

そこにカマちゃんことオフザウォールオーナーの三口氏が登場して、

緩斜面をショートもどきで滑りながら抜いて行ったのである。

私は抜きかえしてやろうと直滑降で追い始めた。

が、直滑降をしているはずの私よりターンを続けているカマチャンの方が圧倒的に早く、

その距離はドンドン広がっていった。

スノーボードで2度目の悔しい思いをここですることになる。

カマチャンのマテリアルはアルペン。

私にアルペンのルーツを植え込んだのはカマチャンだったのです。

 

話を戻して93/94シーズン、1月後半のこと。

カマチャンからバッチテストを受けてみようかという話になった。

“バッチテスト?” 何じゃそれ! 

興味も知識もなく、言われるままにJSBAに入会し、白馬乗蔵のわらび平にあった

AZスノーボードスクールで2級のテスト受験と事前講習の申し込みをしていた。

スノーボードスクールの存在すら知らなかった私だけに、

何も知らないままで受けるバッチテストの事前講習。

これを受けた方が合格点が甘くなるんやと勝手に勘違いしていたことも覚えている。

初のスクーリングが始まった。担当インストラクターは塩見と名乗っている。

(この塩見嘉徳とは数年後に出会うこととなる。)

知識も皆無に等しかった私にとっては、塩見インストラクターが話す内容の

半分近くはチンプンカンプンだった。

しかし滑ってみると “ハ~イ!いいですよぉ~” と塩見インストラクター。

おおっ! これでええんや! と鼻プク勘違いは続く。

そしてバッチテストが始まる。

なんと検定員はスキーを履いてのお出ましだった。

なんじゃ~! スキーのバッジテストやんのかぁ~? アホくさ!

しかし、なぜか受験者諸君は憧れの眼差しで追い、相沢さん相沢さんって声が聞こえる。

今だから言えるが、私の初めての相沢盛夫との出会いは単にムカついていただけだった。

テストの結果は・・・・・玉砕!

3度目の悔しさだった。

そしてここからスノーボードに本気で火がつくことになる。

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1 comment(s) so far...

Re: Vol.2 悔しくって悔しくって

あたしがボードをはじめた当時、相沢盛夫はデモですごかった人だが、その当時からあたしのなかではタダの「モリオ」でしかないんはこのフォフォフォのせいかもしれん。きっとそう、絶対そうやわ。

投稿者:のりいち 投稿日:   2006/10/26 0:35

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